「とりあえずやる」が現場を壊す

構造

「とりあえずやってみよう」

この言葉に違和感を覚えたことはないだろうか。

一見すると前向きで、行動力のある言葉に聞こえる。

迷っている時間より、まず動く。
完璧でなくても走りながら考える。
そうした姿勢が成果を生む場面も、確かにある。

だが職場では、この言葉がまったく別の意味で使われることが多い。

判断を避ける。
設計を考えない。
止める責任を負わないために。

「とりあえずやる」は、決断ではない。

検討でもない。

ただ、考えることを先送りにするための合言葉だ。

この言葉が常態化した現場では、

  • 問題は曖昧なまま
  • 基準は定まらず
  • 負荷だけが現場に積み上がる。

現場が疲弊するのは、やる気がないからではない。

能力が足りないからでもない。

「とりあえずやる」で回るように設計された組織が、静かに壊していくだけだ。

「とりあえずやる」が常態化した現場で起きていること

「とりあえずやる」が頻発する職場では、
仕事が始まる前の段階で既に構造的な欠陥が存在している。

目的は曖昧なまま。

成果基準は定義されず、
完了条件すら明確にされないまま業務が開始される。

その結果、何が起きるか。

手戻りだ。

一度終わったはずの作業が差し戻され、
修正と追加対応が次々と発生する。

いつ終わるのか誰も分からない仕事を抱えたまま、
日々が過ぎていく。

現場は確かに「動いている」

だが「前に進んでいない」

業務は回転している。
だが、完結に向かっていない。

忙しさだけが積み上がり、改善されない日常が延々と続く。

仕事は「始まる」が「完了しない」。

そんな構造の中に置かれている。

「とりあえずやる」が選ばれる本当の理由

一度考えてみてほしい。

なぜ、この言葉が選ばれるのか。

「とりあえずやる」は、行動の開始ではない。

思考と判断の停止を宣言する言葉だ。

判断を行うことは、責任を負うことを意味する。

事前に基準を設定し、方針を定めることは、
その判断が後に問題を生んだ場合の責任の所在を明確にする。

だが「とりあえずやる」が選ばれる。

この言葉を使えば、

判断は現場に委ねられ、
責任は分散され、
誰も問われない。

決断でもない。
検討でもない。
試行ですらない。

責任を発生させないための免責装置として機能する。

事前に基準を決めることは、判断責任を負うことを意味する。

設計の放棄も同様の構造を持つ。

業務の設計とは、何をどこまでやるかを定義する行為だ。

止める判断には権限と責任が伴う。

「とりあえずやる」は、
その判断から逃れるための合理的な選択として機能する。

この構造において、
問題は定義されず、
成果は言語化されず、
失敗した場合に誰が止めるかも
決まらないまま業務が進行する。

現場は判断も設計も与えられないまま、
止める権限も持たないまま、
ただ動き続けることを要求される。

例え、問題が発生しても、
それは「やってみなければ分からなかった」という理由で処理される。

判断を避け続けることが、組織内で最も安全な行動として成立している。

「とりあえずやる」で回る組織の行き着く先

この構造を放置すれば、負荷はすべて現場に集約される。

問題が起きても
「やりながら直そう」
「想定外だった」
「次は気を付けよう」

そんな言葉で終わる。

学習も改善も起きない。

現場は疲弊する。
思考をやめる。
指示待ちになる。

そして、最初に離れていくのは、考える動く人だ。

残るのは「とりあえずやる」ことに慣れた人だけになる。

この構造は、事故や崩壊のような分かりやすい形では現れない。

問題が曖昧なまま積み重なり、組織は静かに現場を壊していく。

今日の一文

『「とりあえずやる」は、無責任の先送り』

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