「言われた通りやっただけ」
そんな言葉を使ったことはないだろうか。
あるいは聞いたことはないだろうか。
言った側は「言われた通りやっただけ」だから自分は悪くない。
「そんな指示を出したお前が悪い」と言いたいのだろう。
そして、言われた側は「確かにそうするように指示をした」という事実がある。
部下に過失は何もない。
部下はその指示を忠実にこなしただけなのだ。
果たして、このような組織はどうなるのだろうか。
現場は“指示を忠実にこなす”だけで結果に責任を負わない。
上司は“指示を出した”という事実、
部下はそれを“忠実にこなした”だけという事実の板挟み。
これは言われたことだけを無条件に実行する組織の一例だ。
このような現状を是正しない代償は、静かに、だが確実に、組織を蝕む。
「言われた通りやっただけ」が通用しなくなる瞬間
日常業務において、指示通りに動くことは正しい行動として扱われる。
上司からの指示を受け、それを忠実に実行することが、組織における基本的な行動原則とされる。
疑問を挟まず、言われた通りに遂行することが、評価の対象になる。
しかし、トラブルや失敗が発生した瞬間、その評価は覆る。
なぜ止めなかったのか。
なぜ疑問を持たなかったのか。
なぜ報告しなかったのか。
指示に従ったという事実は残っている。
にもかかわらず、結果だけが問題視され、責任が個人に向けられる。
現場には矛盾が生じる。
指示に従ったのに責められる。
しかし、自分で判断して動けば、それもまた叱責の対象となる。
平時には従順さが求められ、事後には主体性の欠如が指摘される。
実に矛盾だらけだ。
そして、「言われた通りやっただけ」という言葉は、実行の証明であるはずが、責任逃れの言い訳として扱われる。
判断する権限と責任が、最初から切り離されている
この現象は、個人の能力や意識の問題だろうか。
これは構造の問題だ。
多くの組織では、判断する権限と責任を負う立場が、設計の段階で分離されている。
上位者が判断を下し、現場はその実行を担う。
この分業は、効率性と統制の観点からは合理的に見える。
指示系統が明確であれば、組織は速やかに動く。
だが、これには前提がある。
それは判断が正しいこと、状況が想定の範囲内であること、問題が起きないことだ。
その前提が崩れた瞬間、構造の矛盾が表面化する。
判断を下した者は、実行の責任を負わない。
実行した者は、判断の権限を持たない。
結果が問われるとき、判断した側は「実行に問題があった」と言い、実行した側は「指示に従っただけ」と言う。
責任の所在は宙に浮き、やがて現場に落ちる。
権限のない者に、責任だけが課される。
判断する機会を与えられなかった者に、判断しなかった罪が問われる。
組織はこの矛盾を、個人の主体性や当事者意識の欠如として処理する。
この瞬間、構造の問題は、人の問題にすり替わる。
組織は思考を失い、責任だけが現場に残る
この構造が放置されると、現場は思考を停止させる。
考えても報われず、判断しても責められるからだ。
ならば、指示を待つことが最も安全な行動になる。
組織全体から、判断する力が徐々に失われていく。
問題が起きるたびに、「言われた通りやっただけ」という言葉は、使ってはいけない言葉として封じられる。
しかし、判断の機会は依然として与えられない。
現場は沈黙し、組織は判断力を蓄積できず、同じ失敗をただ繰り返す。
最終的に残るのは、責任だけを負わされる現場と、決断をしない組織だ。
「言われた通りやっただけ」が最悪の言い訳になる組織は、最初から判断を現場に与えていない。
今日の一文
『「言われた通りやっただけ」は、判断を奪われた現場の証』
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