パワハラ、セクハラ、マタハラ。
職場には、様々なハラスメントが存在する。
職場でハラスメントが起こったら、
「ハラスメントをしたお前が悪い」
そう言って、起こした当人を処分するのが常だ。
確かにハラスメントは“悪だ”だろう。
なら、その原因はどこにあるのだろうか。
- 性格の問題。
- 倫理観の問題。
- 上司個人の資質の問題。
など個人の問題、個人の責任だと言うだろう。
だが、これは間違いだ。
ハラスメントの責任は個人にある。
だが、発生する原因は構造にある。
裁量はないが責任だけ重い。
正当に評価されず、意見も通らない。
そうした不満が、
「力関係の弱い側」
「抵抗しにくい立場」に
向かって噴き出し、ハラスメントとして表れているにすぎないのだ。
ハラスメントは「個人の問題」として処理される
職場でハラスメントが発覚すると、多くの場合、加害者個人の問題として処理される。
当事者への処分や注意が行われ、組織は「対応した」という形を整える。
しかし、似たような事例は数か月後、あるいは別の部署で再び起きる。
現場ではそれを「またか」と受け止め、「運が悪かった」という言葉で片づける。
組織全体の構造が問われることはなく、根本的な見直しは行われない。
ハラスメントは例外的な事件としてではなく、職場の中で繰り返し発生している。
加害行為の責任は確かに個人にある。
被害者が受けた影響も軽視されるべきではない。
だが、ここで注目すべきは「処理のされ方」である。
個人の責任として完結させることで、組織はその背後にある構造を問わずに済んでいる。
裁量と責任、評価と発言力が分断されている
ハラスメントが繰り返されるのは、職場の構造に原因がある。
多くの現場では、裁量と責任、評価と発言力が分断されている。
判断の権限は与えられないまま、責任だけが現場に降りてくる。
業務の設計は上層で決まり、現場にはその実行だけが求められる。
意見を述べても通らず、評価の基準も不透明である。
成果を出しても正当に評価されず、失敗だけが記録される。
このような構造の中で、現場の人間は不満を抱える。
しかしその不満を表明する場も、反映させる仕組みも存在しない。
組織の設計そのものに合理性が欠けているにもかかわらず、その矛盾は個人の努力不足として片づけられる。
不満は内側に溜まり続ける。
そしてそれは、抵抗できない立場の人間へと向けられる。
権限を持たず、声を上げにくい相手に対して、蓄積された感情が放出される。
これがハラスメントという形で表出する。
加害者の性格や倫理観だけが問題なのではない。
裁量なき責任、
評価なき負担、
発言力なき現場という構造が、
人を追い詰め、
歪んだ行動へと駆り立てている。
構造を放置すれば、ハラスメントは消えない
個人への処分だけを繰り返しても、職場の構造が変わらなければ再発は止まらない。
「厳しく対応しているのに無くならない」という状態が続く。
組織は表面的にはクリーンであることを装い、内部では不満と恐怖を溜め込む。
声を上げられる人から順に去り、何も言わない人だけが残る職場になる。
ハラスメントを個人の問題として終わらせる限り、組織は同じ過ちを繰り返す。
ハラスメントは、構造が壊れているという警告である。
今日の一文
『ハラスメントを個人の問題として終わらせる会社に、未来はない』
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