「この仕事は本当に必要か?」
そんなことを思ったことは1度や2度ではないだろう。
資料を読み上げるだけの会議、
業務実態と合わない安全活動、
確認のない謎のスタンプラリー、
これらは何ら利益を上げることのない“ムダ”な活動だ。
そのような“ムダ”な活動に会社は精を出す。
その結果、時間を消費し、人的資源を消費する。
本来向き合うべき仕事から目を逸らす。
意思決定に時間がかかるのも、その延長だ。
これは明確な浪費でしかない。
価値を生まない支出だ。
浪費はコストだ。
ムダを見ない、
是正しない会社は、
どこで利益が生まれ、
どこで失われているのかすら、
見えなくなる。
ムダを見ない会社は、利益も見えない。
ムダが当たり前になっている職場
多くの職場では、目的を問われない会議が週に何度も開かれている。
参加者は集まり、
言葉を交わし、
時間を消費するが、
何のための会議なのかは明示されない。
議題はあっても、それが何につながるのかは説明されない。
実態と乖離した活動も珍しくない。
現場で起きていることと、
報告や記録の内容が一致していない。
それでも活動は続けられ、誰もその乖離を指摘しない。
意味の説明がない確認作業も日常化している。
なぜこれを確認するのか、
誰が最終的に判断するのか、
その情報がどこで使われるのかは語られない。
ただ「確認が必要だから」という理由だけで、作業は回り続ける。
これらは「何となく続いている」だけで、
利益を生まない。
価値を増やさない。
にもかかわらず、
誰も止めない。
誰も疑問を口にしない。
その結果、時間、人手、思考力が静かに消費されていく。
ムダが見えなくなる組織の視野
この現象は、判断の構造が存在しないことによって起きる。
ある活動が必要かどうかを判断する仕組みが、組織の中に設計されていない。
誰が判断するのか、
何を基準に判断するのか、
その基準はどこで決められたのか。
これらが曖昧なまま、活動だけが先行する。
責任の所在も明確でない。
ある業務がムダであったとしても、
それを止める責任を持つ者がいない。
責任がないから、誰も動かない。
動かないから、ムダは温存される。
権限の配置にも問題がある。
現場に近い者ほど、ムダを認識しやすい。
しかし、その者には活動を止める権限がない。
権限を持つ者は現場から遠く、ムダが見えない。
この距離が、構造を固定する。
設計の欠如も大きい。
組織は活動を増やすことには積極的だが、減らすことには消極的だ。
新しい業務が追加される際、
それが既存の何を置き換えるのか、
何を削るのかは検討されない。
追加だけが繰り返され、全体の量は膨張し続ける。
合理性の基準も持たない。
ある活動がどれだけのコストを要し、どれだけのリターンを生むのか。
その比較が行われない。
比較がないから、優先順位も付けられない。
すべてが「必要なこと」として並列に扱われ、取捨選択が起きない。
利益が見えなくなる理由
ムダを見ない会社では、
どこで価値が生まれているか、
どこで失われているかが分からなくなる。
その状態では、正しい投資判断ができない。
改善の優先順位も付けられない。
結果として、利益は偶然の産物になる。
再現性がなくなる。
利益とは、
努力の総量ではなく、
ムダを除いた結果である。
ムダを見ない組織は、利益の正体そのものを見失っている。
今日の一文
『ムダを直視しない組織は、利益を失う』
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