「ルールがあるから安心だ」
「決まりがある方が公平だ」
「ルールを増やせばトラブルは減る」
職場ではよく聞く言葉だ。むしろ、それを口にするのは管理者の方が多い。
確かに、最低限のルールは必要だ。
無秩序では仕事は回らないし、基準がなければ混乱も起きる。
だが、いつの間にかこうなってはいないだろうか。
何か問題が起きるたびに、ルールが増える。
例外を防ぐために、さらに細かい決まりが増える。
判断を間違えないために、確認項目が増える。
その結果どうなるか。
誰も自由に動けなくなる。
「それはルール的にどうなのか」
「前例はあるのか」
「一度持ち帰って確認します」
こうした言葉が飛び交い、
現場では判断が止まり、
行動が遅れ、
仕事は重くなる。
本来、ルールは行動を支えるためのものだ。
だが、数が増えすぎると、逆に行動を縛る鎖になる。
自由とは、好き勝手にやることではない。
状況を見て、自分で判断し、責任を持って動くことだ。
ルールが増えすぎた職場では、その「判断」と「責任」が奪われる。
決めてはいけない。
変えてはいけない。
例外を作ってはいけない。
そうして残るのは、言われたことだけを守る人間と、誰も責任を取らない組織だ。
ルールが増えるほど、現場の自由は確実に減っていく。
そして自由を失った職場は、考えなくなり、工夫しなくなり、静かに衰えていく。
ルールが増えるほど、現場は動けなくなる
問題が起きると、組織はルールを追加する。
再発を防ぎ、
公平性を担保し、
安心を与えるために作られるルールは、
その目的の正当性ゆえに否定されにくい。
こうして、ひとつずつルールは増えていく。
しかし、ルールが積み重なっていくと、現場では判断よりも確認が優先されるようになる。
「これは前例があるか」
「手順は間違っていないか」
「誰かに確認すべきか」
といった問いが、行動の前に立ちはだかる。
確認作業は常態化し、判断は先送りされる。
その結果、現場は「勝手に動いてはいけない場所」になる。
誰も自由に動かず、指示を待つことが安全な行動になる。
ルールは秩序をもたらすが、増えすぎることで、現場を停止させる装置にもなる。
ルールは判断と責任を肩代わりする装置になる
ルールが増える背景には、構造的な合理性がある。
判断には責任が伴う。
誰かが決めれば、誰かが責任を負う。
その責任の所在が不明確であるほど、判断は回避される。
ルールは、この判断と責任を代替する装置として機能する。
「ルールに従った」という事実が、判断の正当性を保証し、責任の所在を曖昧にする。
組織がルールを増やすのは、現場に権限を与えたくないからではなく、責任の設計が不十分だからである。
誰が、どこまで、何を決めてよいのか。
その範囲が明確でなければ、現場は判断を避ける。
ルールは、その不明瞭さを埋める代替物として機能する。
そしてルールが増えれば増えるほど、判断の余地は狭くなる。
すべてが手順化され、例外が許されなくなり、裁量が消える。
現場は「決めない場所」になり、判断力は失われていく。
これは怠慢ではなく、設計の帰結である。
判断を求めながら、判断を許さない構造が、ルールの増殖によって完成していく。
自由を失った組織は、静かに衰退する
自由を失った現場では、改善は起きない。
想定外の事態に対応できず、誰も責任を引き受けない。
表面上は秩序が保たれ、トラブルも少なく見える。
ルールは守られ、
手順は遵守され、
問題は表面化しない。
しかし、その内側では、判断力と柔軟性が失われていく。
決断は避けられ、
変更は忌避され、
例外は認められない。
現場は動かず、状況は固定される。
ルールが増えれば、自由が減る。
自由を失った組織は、強くならない。
今日の一文
『ルールと自由は、反比例する』
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