人で殴る運営は、必ず破綻する

現場

「忙しいから人を増やそう」
「人さえいれば何とかなる」
「今は踏ん張りどころだ」

そんな言葉で回っている職場は少なくない。

問題が起きたとき、仕組みを疑う前に人を足す。
業務が回らなければ、誰かに無理をさせる。
計画が破綻すれば、残業と気合で押し切る。

それは一見、即効性がある。
人を投入すれば、その瞬間だけは数字が動く。
期日も守れる、表面上は「解決した」ように見える。

だが、それは運営ではない。
ただ人で殴っているだけだ。

人で殴る運営は、必ず同じ結末を迎える。

負荷は一部の人間に集中し、消耗が進む。
疲弊した人から離れ、現場の再現性は失われる。
そして、また人を足す。

このループに改善はない。
あるのは消耗と先送りだけだ。

人は無限の資源ではない。
感情も、体力も、集中力も、確実に摩耗する。
それを前提にした運営は、長く持たない。

人で殴る運営は、
問題を解決しているのではない。
破綻するまでの時間を延ばしているだけだ。

そしてそのツケは、必ず現場と人に返ってくる。

人を増やせば回る、という錯覚

忙しくなると、まず「人を増やす」判断が取られる。

残業が増え、
休日対応が入り、
現場の気合で、
一時的に数字は回る。

管理側はこの結果を見て、
「人が足りなかった」
「現場が頑張った」
と評価する。

しかし実際には、業務量は減っていない。

無駄や歪みも残ったままだ。

現場は疲弊し、ミスが増える。
離職が出る。

問題が起きると、さらに人を足す。

この判断は即効性があり、成果が出たように見える。

数字は動き、管理しやすい。

だからこそ繰り返される。

業務設計も、
判断の仕組みも、
無駄の解消も、
何も変わっていない。

問題が再発すると、同じ手段が選ばれる。

なぜ「人で殴る」運営が選ばれるのか

人を増やす判断は、構造上、最も選びやすい選択肢として機能している。

判断する側にとって、人員の増減は目に見える数字であり、説明しやすい。

「人が足りなかった」という理由は、関係者全員に通じる。

一方で、業務設計の見直しや仕組みの改善は、
効果が見えにくく、
時間がかかり、
責任の所在が曖昧になる。

権限の構造も影響する。

人を増やす判断は、現場の業務内容に踏み込まなくても下せる。

しかし業務設計を変えるには、
現場の実態を把握し、
各所に調整を求め、
責任を引き受ける必要がある。

権限と責任が分断されている組織では、この判断は避けられる。

合理性の観点からも、人で殴る運営は一見、機能する。

短期的には数字が回り、問題は先送りされる。

次の問題が起きるまでの間、判断は正しかったとみなされる。

改善や学習が評価される仕組みがなければ、この判断が繰り返される構造が固定される。

設計を変えない運営は、
判断する側にとって低リスクであり、
説明責任を果たしやすく、
権限の範囲内で完結する。

このループには、改善も学習も存在しない。

破綻は突然ではなく、必然として起きる

疲弊によって、
品質が下がる。
判断が雑になる。
有能な人ほど先に離れる。

新しい人が入っても、
教える余裕がない。
仕組みもない。

残るのは、無理に耐える人と、回せなくなった現場だ。

数字が限界に達した時、一気に崩れる。

それは事故ではなく、人で殴り続けた運営の必然的な結末だ。

人を消耗させ続けた結果として、
品質が落ち、
人が辞め、
教えられなくなり、
崩れる。

破綻は偶然ではなく、人で殴る運営を選び続けた必然として起きる。

今日の一文

『仕組みを作れない組織は、人を消耗させる』

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