ルールも制度も、本来は人を守るためにある。
混乱を防ぎ、不公平をなくし、現場が安心して働くためのものだ。
だが、それが目的を忘れた瞬間、性質は反転する。
誰も責任を取らないための盾になり、考えなくて済むための言い訳になり、判断しないための逃げ道になる。
ルールが増え、例外が消え、制度が重くなるほど、現場の自由は奪われ、人は黙り、組織は硬直する。
守られているはずの人間が疲弊し、守るために作られた制度が、いつの間にか人を壊し始める。
制度は万能ではない。
使われなければ意味がなく、問い直されなければ腐っていく。
ルールは守るものではなく、使うものだ。
制度は固定するものではなく、更新され続けるものだ。
人を守れなくなった制度は、もはや制度ではない。
それはただの重りであり、組織を沈める原因でしかない。
人を守るはずの制度が、現場を黙らせるとき
ルールや制度は、
混乱を防ぎ、
不公平をなくすために設計される。
誰もが同じ基準で扱われ、
恣意的な判断を排除し、
組織を安定させるための装置だ。
しかし現場では、いつの間にかルールの遵守そのものが目的になる。
手続きの正しさが判断の正しさより優先され、例外を認めることがリスクとして扱われる。
現場に裁量があったはずの領域は、次第に手順書とチェックリストに置き換わっていく。
結果として、現場の人間は自分で考える余地を失う。
判断すること自体がリスクになり、指示を待つことが最も安全な選択肢になる。
声を上げることは、ルールを疑う行為として映る。
人は黙り、従い、疲弊する。
「守られているはず」なのに息苦しい。
その違和感は言葉にならないまま、日常の一部になっていく。
責任を避けるために、制度が肥大化する
この現象は、構造によって生まれる。
制度の設計段階では、判断の権限と責任は対になっている。
しかし運用が始まると、その対は崩れる。
権限を持つ者は責任を回避するために、判断を制度に委ねる。
「ルールだから」という言葉が、判断の放棄を正当化する盾になる。
責任を取らずに済む仕組みが一度できると、それは自己増殖する。
判断を減らすためにルールが増え、
例外を封じるために手続きが増え、
リスクを避けるために承認フローが増える。
制度は、責任の所在を曖昧にするために肥大化していく。
一方で、現場には権限がないまま責任だけが残る。
ルールを守らなければ責められ、
守っても結果が悪ければ責められる。
判断する余地がないのに、結果には責任を負わされる。
この非対称が、現場を黙らせる。
合理性は、こうして失われる。
制度は本来、効率と公平を両立させるために存在するはずだった。
しかし責任回避のために設計された制度は、
効率を殺し、
公平を形骸化させる。
それでも制度は維持される。
なぜなら、それが誰かにとって都合がいいからだ。
更新されない制度が、組織を静かに壊す
制度が更新されない組織では、現場の疲弊は止まらない。
声を上げる人から順に去り、
残るのはルールを守ることに長けた人と、
判断しないことに慣れた人だけになる。
組織は硬直する。
環境が変わっても、制度は変わらない。
対応が必要な場面でも、ルールが動きを止める。
判断できる人間がいなくなり、判断する文化も消える。
人を守れなくなった制度は、もはや制度ではない。
それは組織を沈める重りだ。
この衰退は、偶然でも不運でもない。
構造上の必然として、静かに進行する。
今日の一文
『制度の乱用は、衰退を招く』
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