教育に時間がかかるのは、人の問題ではない

構造

教育には時間がかかる。

これは、どの現場でも共有されている事実だろう。

それでも職場では、
「覚えが悪い」
「成長が遅い」
「向いていない」
という言葉が、簡単に口にされる。

教育に時間がかかる理由は、本当に人の問題なのだろうか。

多くの現場では、

  • 教える時間が確保されていない
  • 教育が評価されない
  • 教育担当に権限も余裕もない

そのような状態で「早く一人前になれ」とだけ求めている。

それは教育ではない。

ただの丸投げだ。

人は、時間をかければ育つ。

だが、時間をかける設計がなければ、誰も育たない。

教育が進まないのは、能力不足のせいではない。

教育に時間を使えないように作られた組織の問題だ。

教育に時間がかかる現場で起きていること

教育は「業務の合間」や「空いた時間」に押し込まれるのが常だ。

教える側も学ぶ側も、常に時間に追われている。

指導は断片的になり、体系立てて伝えることができない。

「何度も同じことを聞くな」
「まだ覚えていないのか」
という空気が生まれる。

本人は努力しているが、成長実感を得られない。

周囲からは
「覚えが悪い」
「向いていない」
と評価され始める。

教育に時間がかかること自体は、現場全体がすでに理解しているはずだ。

にもかかわらず職場では、成長が遅い理由を個人の資質や適性に回収する言葉が安易に使われる。

教育には時間がかかると認識しながら、成長が遅いことが問題視される。

この矛盾は、認識不足ではない。

教育に時間をかけられない組織の設計

多くの現場では、教育に使う時間が確保されていない。

業務量と人員配置が、教育時間を織り込まずに設定されている。

通常業務と教育は、同じ時間枠の中で並行して行われる前提で組まれている。

教育行為は評価対象にもならない。

教えることに時間を割いても、それは業績や成果として可視化されることはない。

評価されるのは担当業務の進捗と結果であり、誰かを育てたことではない。

教える側には権限も余裕も与えられていない。

指導を任された者は、自身の業務負荷を抱えたまま教育を行う。

指導のために業務を調整する権限はなく、指導に専念する時間的余裕もない。

教育は
「できる範囲で」
「負担にならない程度に」
という条件付きで任される。

その状態で求められているのは
「育つこと」ではなく「短期間で戦力化すること」だけだ。

これは教育ではなく、教育という名を借りた丸投げでしかない。

成長しない原因を人に押し付けるための構造になっている。

この設計は、合理性に基づいて判断された結果だ。

限られたリソースの中で、目の前の業務を回すことが優先される。

教育に時間を割く判断は、短期的な生産性を下げる。

その判断を下す責任は、組織構造の中で曖昧にされ、誰も取らない。

人が育たない組織の行き着く先

教育は進まず、属人化が進行する。

育たない原因は「人」に押し付けられる。

若手は自信を失い、ベテランは疲弊してゆく。

教える文化が消え、質問しづらい空気が定着する。

成長は個人任せになり、組織としての再現性は失われる。

人が育たないのではない。

育つ前提を持たない組織になっていく。

教育に時間を使えないように作られた構造は、そのまま残り続ける。

今日の一文

『教育を後回しにする組織は、人を失う』

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