残業で解決する現場は、何も解決していない

現場

「今日は残業で何とかしよう」

そんな言葉が当たり前のように使われている職場は多い。

人手が足りない。
納期が厳しい。
トラブルが重なった。

理由はいくらでも簡単に並ぶ。

確かに、残業をすれば“その日”は乗り切れる。
目の前の仕事は片付く。
数字も帳尻が合う。

だが、それは本当に“解決”だろうか?

残業は、問題を消しているのではない。
問題を先送りにしているだけだ。

業務量は見直されない。
手順は改善されない。
役割分担も曖昧なまま。

「頑張れば何とかなる」という前提だけが残る。

その結果、どうなるか。

忙しい人は、さらに忙しくなる。

一方で、何もしない人間は、守られる。

残業で回る現場は、仕組みで回っていない。
個人の消耗で回っているだけだ。

そして、その歪みはいずれ必ず表に出る。

疲弊、離職、形だけの改善活動として。

残業で「回っている」ように見える現場

「今日は残業で何とかしよう」という言葉が、日常の選択肢として定着している職場がある。

人手不足、
厳しい納期、
突発的なトラブル。

残業の理由は、その都度挙げられる。

理由も実に様々だ。

残業をすれば、その日の仕事は何とか終わる。

目の前にあった問題は片付き、数字や帳尻も合う。

翌日の始業時には、一応の区切りがついた状態で引き継がれる。

表面的には、問題は処理されたように見える。

見えている。

だが、業務量そのものは見直されることはない。

手順が改善されることもなく、役割分担は曖昧なまま据え置かれる。

「誰が何をどこまで担うべきか」という線引きは、最後まで明確にならない。

現場に残るのは、「頑張れば何とかなる」という前提だけだ。

その前提が、次の残業を正当化する。

さらにその次の残業へとつながってゆく。

残業が問題解決を止めてしまう理由

残業によって仕事が終わるという事実は、問題が「ない」ことの証明として扱われる。

実際には問題が存在しているにもかかわらず、表に出ないため、判断の対象にもならない。

判断が行われなければ、責任の所在も定まらない。

責任が曖昧なまま放置されれば、誰が改善の権限を持つのかも不明確になる。

権限が不明確であれば、業務の設計に手を入れることは実質的に不可能だ。

この構造において、残業は「一時的な対応」ではなく、「恒久的な前提」として組み込まれる。

業務量の見積もりは、残業を含んだ時間を基準に設定され、納期も残業の存在を前提に組まれる。

その結果、通常の勤務時間内で完結するという選択肢は、最初から検討されない。

残業が常態化すると、問題を「見える化」する動機も失われる。

なぜなら、問題は既に処理されているからだ。

処理されている以上、それを改めて問題として扱う必要性は生まれない。

こうして、残業という手段が、構造の見直しを妨げる要因そのものになる。

問題は解決されないまま、只々繰り返される。

消耗で回る現場が迎える結末

残業で回っている現場は、仕組みで支えられているのではない。

個人の消耗によって成り立っている。

その構造では、忙しい人はさらに忙しくなり、何もしない人は守られる。

負荷の偏りは、放置されたまま拡大していく。

やがて歪みは表に出る。

疲弊、離職、形だけの改善活動。

問題が顕在化した時点で、すでに修復には高いコストが必要になっている。

この帰結は、偶然でも不運でもなく、構造上の必然である。

今日の一文

『残業で解決する現場は、何も解決していない』

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