事故は、ある日突然起きるものではない。
多くの場合、それは「止めるべきだったのに、止まらなかった」結果として起きる。
異変に気付いた現場はあった。
違和感を覚えた人もいた。
それでも作業は止まらなかった。
それは会社が現場に作業を止める判断を許されていなかったからだ。
止めれば怒られる。
遅れれば責任を問われる。
「大丈夫か?」ではなく、
「いつ終わる?」が先に来る。
このような環境では、安全よりも進捗が優先されるのは当然だ。
現場が止めないのではない。
止められないように設計されているだけだ。
現場に判断権限がなく、止める行為が評価されない組織は、
事故を防ぐ構造を最初から持っていない。
そしてその結末は、例外なく事故という形で現れる。
「止めるべき場面」で止まらない現場
事故や重大トラブルの前には、必ず何らかの兆候が存在している。
異音、
違和感、
手順からの逸脱。
現場にいる人間は、それらに気づいていないわけではない。
危険性を理解していないわけでもない。
それでも、作業は続行される。
工程は止まらない。
現場で繰り返されるのは、
「止めていいかわからない」
「自分の判断ではない」
「後で怒られる」
という言葉だ。
異常を認識しながら、手を止めることができない。
止める選択肢が、実質的に存在していない。
事故は、突然起きるものではない。
止めるべき場面で止まらなかった積み重ねの末に、起きる。
前兆は複数あり、機会は何度もあった。
それでも止まらなかった現場が、最終的に事故という形でその蓄積を露呈する。
止める判断を許さない組織設計
現場が止まらないのは、止めない方が合理的な環境が設計されているからだ。
多くの組織では、作業を止める判断権限が現場に与えられていない。
異常を感じた作業員が独自に判断して工程を停止することは、制度上想定されていない。
止めるためには上司の承認が必要であり、その承認を得るまでの時間と手続きが、止める選択を現実的でなくする。
さらに、止めた場合の責任の所在が曖昧だ。
もし止めた判断が「誤報」とみなされた場合、その遅延や損失の責任を誰が負うのかが明確でない。
結果として、
止めた人間が叱責され、
評価を下げられるリスクだけが残る。
一方で、止めずに作業を続行した場合、
進捗は維持され、
数字は達成される。
仮に後から問題が発覚しても、「その時点では判断できなかった」という言い訳が成立する。
止めなかったことの責任は、事故が起きるまで問われない。
この構造下では、
止めることがリスクであり、
止めないことが安全策になる。
現場は合理的に行動した結果、止まらない。
組織が止める判断を
評価せず、
守らず、
むしろ不利益と結びつけている限り、
現場は止められない。
事故が「必然」になる会社の末路
止めない選択を積み重ねた組織では、リスクが内部に蓄積していく。
小さな異常は
見過ごされ、
報告されず、
修正されない。
それらは記録にも残らず、誰の記憶にも明確には残らない。
やがて、大きな事故や取り返しのつかないトラブルとして表面化する。
事故が起きると、
組織はマニュアルを増やし、
ルールを厳しくし、
現場を責める。
しかし、止める権限も、止めた判断を評価する仕組みも変わらない。
構造は維持されたまま、対症療法だけが繰り返される。
現場が止めない会社は、偶然事故を起こすのではない。
止められない構造を持っているため、必然的に事故を起こす。
今日の一文
『現場が止めないのではない。止められる仕組みがないのだ』
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