評価制度が人の行動を如実に映す

構造

「努力すれば報われる」
「結果を出せば評価される」
「頑張れば給与が増える」

最初は、誰もがそう信じる。

だが、実際はどうだろうか?

努力をしたところで、“何をやってるんだろう?”と白い眼を向けられる。
結果を出しても認めてもらえない。

それどころか迷惑がられる。

そして、給与はみんな同じで差はほとんどない。
にもかかわらず、仕事は多い。

そんな経験はないだろうか。
あるいはそんな経験をしている人が近くに居ないだろうか。

これは個人の努力が足りなかったわけでも、間違っていたわけでもない。
ましてや十分な結果が出ていなかったわけでもない。

すべては、平等を履き違えた評価制度の問題だ。

みんな平等に評価します。民主的で素晴らしい。

だが、実際は違う。
平等ではなく、横並びに評価している。

すると何が起こるのか。

努力しても、結果を出しても評価は変わらない。

そのことに気が付いた人から、努力しなくなる。結果を出さなくなる。

そして、それらを行う人が“異物”に見えるようになる。

結果、しない人間が増えていく。

平等を履き違えた評価制度が会社を壊す。

評価される行動だけが残っていく職場

努力や成果を出しても、それが評価に反映されない場面がある。

業務を効率化したり、
新しい提案をしたりすると、
むしろ否定的に受け取られることがある。

「余計なことをしている」
「空気を乱している」
と見られる。

周囲と同じペースで、同じ成果を出している方が安全だ。

目立たず、
波風を立てず、
前例に沿って動く。

そうした行動の方が、結果的に評価を下げずに済む。

本来評価されるべき行動よりも、無難で静かな行動が残る。

頑張る人ほど浮き、孤立する。

一方で、静かに手を抜く人が増えていく。

評価制度が、本来望まれる行動ではなく、組織に適応した行動を選別している。

人は評価される行動を選ぶようにできている

人は評価制度に応じて行動を選ぶ。

それは合理的な判断だ。

評価されない行動を続けることは、組織の中では不利になる。

昇進も昇給も、評価に紐づいている。

だから人は、評価される行動を選び、評価されない行動を避ける。

これは怠慢ではなく、制度に対する適応だ。

問題は、評価制度の設計にある。

成果や改善を正しく評価する仕組みがなければ、人はそれを選ばなくなる。

逆に、無難さや前例踏襲が評価されるなら、人はそちらを選ぶ。

評価制度が、
何を評価し、
何を評価しないかを
決めている。

「平等」を履き違えた評価は、努力や工夫や判断を報わない。

全員に同じ評価を与えることが平等だと考えると、差をつけるための判断が曖昧になる。

結果として、
成果を出した人も、
出さなかった人も、
同じように扱われる。

その構造に気づいた人から、行動を変える。

努力を止め、
工夫を止め、
判断を避ける。

評価制度が、人の行動を決めている。
設計が、結果を生んでいる。

評価が歪んだ組織は学習できなくなる

考える人、挑戦する人ほど消耗する。

組織から、改善や提案や主体性が減っていく。

残るのは、指示待ちと前例踏襲に最適化された行動だ。

評価されない行動を選ぶ理由がない以上、人は評価される行動だけを選ぶ。

組織は学習しない。
変われない。
同じ問題を繰り返す。

評価制度は、人を育てる装置ではなく、行動を固定化する装置になっている。

平等を履き違えた評価制度が、会社を壊す。

今日の一文

『評価が歪めば、行動も歪む』

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