判断遅延は責任転嫁

構造

「もう少し様子を見よう」
「念のため確認を取ろう」
「関係者の合意が必要だ」

職場では、こうした言葉が当たり前のように使われている。
一見すると慎重で、真面目で、責任感のある対応にも聞こえる。

だが、その判断は本当に“遅れている”だけだろうか。

決断を先送りする理由は、情報不足や時間不足とは限らない。
多くの場合、その裏にあるのは「決めた結果、責任を負いたくない」という心理だ。

決めなければ失敗しない。
判断しなければ責任も発生しない。
だから確認が回り、会議が増え、決断は引き延ばされる。

こうして判断は“慎重さ”の名を借りて、組織の中を漂い続ける。
その間、現場は止まり、機会は失われ、負担だけが積み重なっていく。

判断が遅れているのではない。
責任が、押し付け合われているだけだ。

「慎重さ」の名で先延ばしされる判断

「様子を見る」
「確認する」
「合意を取る」

という言葉が会議で繰り返される。

判断が保留され、結論が出ないまま時間だけが過ぎる。

誰も「決めない」ことに違和感を覚えなくなる。

現場では、手が止まる。
判断待ちが常態化する。

表面上は、
慎重で、
真面目で、
責任感がある行動として扱われる。

だが実際には、何も前に進んでいない。

議論はされているが、決定者が存在しない状態が続く。

確認は行われるが、誰が責任を持つのかは明示されない。

合意形成のための会議が増えるが、その合意によって誰が何を決めたのかは曖昧になる。

「慎重さ」という言葉が、判断の先延ばしを正当化する装置として機能している。

なぜ判断は遅れるのではなく、避けられるのか

判断遅延は、能力の問題ではなく、設計の問題である。

判断をすれば、結果に対する責任が生じる。
失敗すれば責任を問われる。

一方で、判断をしなければ、失敗も発生しない。

責任も問われない。

この構造において、判断を避けることは合理的な行動となる。

権限と責任が明確に紐付けられていない組織では、判断することがリスクとなる。

誰が決めるのかが曖昧であれば、誰も決めない方が安全である。

合意形成や確認は、本来は意思決定を支援する手段である。

しかし、それらが「責任を分散させる装置」として機能し始めると、判断そのものが回避される。

「全員が合意した」という状態は、「誰も責任を負わない」という状態と等しくなる。

慎重さを装った先延ばしは、責任を引き受ける設計が存在しないことの帰結である。

判断が遅れているのではなく、判断を避ける構造が組織に埋め込まれている。

それは個人の問題ではなく、システムの問題である。

責任を避け続けた組織に起きること

決断の遅れによって、機会を逃す。

問題が拡大する。

現場は指示待ち、判断待ちに慣れていく。

誰も決めないため、
会議が増える。
資料が増える。
仕事が重くなる。

動いているように見えるが、何も前に進んでいない。

最終的に、成果は出ない。

しかし責任者も存在しない。

組織は漂い続け、判断が必要な局面で誰も手を挙げない状態が固定化される。

それは偶然ではなく、責任を引き受ける設計を避けてきた必然である。

今日の一文

『判断を先送りする組織に、責任は存在しない』

コメント

タイトルとURLをコピーしました