「とりあえず会議を開こう」
問題が起きたとき、最もよく聞く言葉だ。
関係者を集め、資料を用意し、予定を押さえる。
一見すると、慎重で真面目な対応に見える。
だが、本当にそうだろうか?
会議は、決断のために開かれているだろうか。
それとも、決断を先延ばしにするために開かれているだろうか。
多くの職場で、会議は「判断の場」ではない。
責任を分散し、結論を曖昧にするための場になっている。
誰も反対しない案を探す。
全員が納得した形を装う。
結果、「持ち帰って検討」が積み重なる。
その間も、現場は止まらない。
判断を待ち、確認を待ち、時間だけが過ぎていく。
会議が増えるほど、決断は遅くなる。
決断が遅くなるほど、さらに会議が増える。
これは慎重さではない。
責任を取らない仕組みだ。
決められない組織ほど、話し合いに時間を使う。
決められる組織ほど、会議は短い。
会議の多さは、活発さの証拠ではない。
意思決定が機能していないという、明確なサインだ。
会議が多い会社ほど、決断できない。
会議が増え続け、決断が消えていく現場
問題が発生すると、まず会議が招集される。
参加者が集められ、
状況が共有され、
意見が出される。
だが、その場で結論が出ることは少ない。
議論は行われるが、誰が何を決めるのかは曖昧なまま終わる。
会議の後に残るのは、
新たな検討課題と次回会議の日程、
そして「引き続き協議する」という曖昧な合意だけだ。
現場は判断を待ち続け、
仕事は止まる。
担当者は動けず、
上司の指示を待つ。
上司もまた、
別の会議での結論を待っている。
会議が増えるほど、意思決定のスピードは落ちる。
関係者が多くなり、
調整が必要になり、
判断は先送りされる。
誰が最終的に決めたのか、
誰が責任を負うのかも不明確になる。
会議室は埋まり、カレンダーは予定で埋まるが、物事は前に進まない。
会議が選ばれる理由は「決めない方が安全」だから
会議が増え続けるのは、組織の設計がそれを必要としているからだ。
判断する権限が明確に定義されておらず、誰が何を決められるのかが曖昧である。
責任の所在も明確でないため、誰も単独で決断を下そうとしない。
決めないことは、合理的な選択となる。
判断すれば責任が生じるが、会議で「検討中」にしておけば責任は分散される。
結論を出さなければ、間違える可能性もない。
会議を重ねること自体が、慎重に対応している証拠として機能する。
権限が曖昧な組織では、決断は常にリスクを伴う。
上層部の意向が読めない中で判断を下せば、後から覆される可能性がある。
ならば、関係者全員を巻き込み、合意を形成する過程を踏む方が安全だ。
こうして会議は、意思決定の場ではなく、責任を回避するための装置として機能する。
決めるために集まるのではなく、決めないために集まる。
その構造が設計されていないのではなく、決めない構造が設計されている。
決められない組織が迎える必然
決断が遅れるほど、機会は失われる。
市場は動き続け、
競合は判断を下し、
顧客は待たない。
決めないことで守っているつもりのものは、実際には静かに消えていく。
現場は次第に自分で考えなくなる。
どうせ会議で決まるなら、判断する意味がない。
指示を待ち、
承認を待ち、
決定を待つ。
管理層は会議に追われ、本来行うべき判断の時間を失う。
組織全体が変化に対して鈍くなる。
トラブルが起きても、
まず会議が開かれ、
検討が始まる。
対応は遅れ、
被害は広がる。
会議の多さは、活発さの証拠ではない。
意思決定という機能が壊れていることの、明確なサインだ。
決断できない組織は、音を立てずに競争力を失っていく。
今日の一文
『会議の多さは、責任回避の表れ』
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