相性を見ないOJTは離職を招く

構造

OJTは「誰が教えても同じ結果になる」と思われがちだ。
だが、実際はまったく違う。

教える側にも癖がある。

  • 説明が雑な人
  • 感覚で語る人
  • 完璧を求める人

一方で、教わる側にも特性がある。

  • 理屈から理解したい人
  • まず手を動かしたい人
  • 質問が苦手な人

この相性を無視してOJTを組むと、何が起こるか。

教える側は「なんで分からないんだ」と苛立ち、
教わる側は「自分は向いていない」と思い込む。

だが問題は、能力ではない。

相性だ。

それでも現場ではこう言われる。

「OJTなんだから仕方ない」
「誰にでも最初はできない」
「慣れれば大丈夫」

そうして相性の悪さは放置される。
結果、教わる側は質問をやめ、失敗を隠し、静かに消耗していく。

やがて出てくるのは、「自分には合わなかった」という退職理由だ。

相性を見ないOJTは、人を育てない。

人を追い込む。

そして最も厄介なのは、離職の原因が「本人の問題」にすり替えられることだ。

そのような構造の職場で、人は育たない。

OJTの失敗は「本人の能力不足」として処理される

OJTがうまくいかないとき、多くの職場では
「教わる側の理解力が足りない」
「この仕事に向いていない」
という判断が下される。

教える側と教わる側の組み合わせが合っていないという視点は、ほとんど持たれない。

教わる側は質問しづらくなる。
失敗を隠すようになる。
自信を失っていく。

周囲からは
「やる気がない」
「成長が遅い」と見られ、
問題は個人の資質として処理されていく。

教える側も、意図して教えないわけではない。

教わる側も、学ぶ気がないわけではない。

それでも、うまくいかない組み合わせは存在する。

だがその事実は、現場ではほとんど語られない。

失敗は、常に個人に帰着する。

OJTは「相性」を考慮しない設計になっている

OJTには、そもそも「誰が教えるか」を選ぶ余地がない。

多くの職場では、配属先の上司や先輩が自動的に教育担当となる。

判断は行われない。

責任は形式的に割り振られるが、権限は曖昧なまま放置される。

教える側には、教え方を選ぶ自由がない。
教わる側には、教わり方を調整する余地がない。

双方の特性が噛み合わなくても、その組み合わせが見直されることはない。

OJTという仕組みは、相性という変数を設計に含んでいない。

現場では
「OJTだから仕方ない」
「慣れればできる」
という言葉で問題が片付けられる。

それは合理性に基づいた判断ではなく、設計の不全を正当化する言い訳である。

教える側の説明の癖と、教わる側の理解の特性が噛み合わないとき、双方に苛立ちや自己否定が生じる。

だがその失敗は、能力不足ではなく相性の問題である。

にもかかわらず、その認識は現場に共有されない。

構造は問われず、個人が責任を負う。

人は育たず、静かに離職していく

相性の合わないOJTが続くと、
教わる側は「学ばない人」になるのではなく、
学べない環境に置かれる。

成長実感を持てないまま消耗し、最終的に離職を選ぶ。

会社は
「最近の若手は続かない」
「根性がない」
と結論付けるが、それは結果であって原因ではない。

OJTの失敗は、人材不足ではなく設計不全のサインである。

相性を見ないOJTは、人を育てない。

人が辞めていく職場は、教育ではなく構造に問題がある。

今日の一文

『相性を見ないOJTは、人を壊す』

コメント

タイトルとURLをコピーしました