頑張っている人ほど損をする

現場

「頑張っている人が報われる」

そう信じたいし、そうであってほしい。

だが現実の職場では、
頑張っている人ほど損をする構造が出来上がっていることが多い。

仕事が早い人には、さらに仕事が集まる。
断らない人には、次々と依頼が来る。
トラブルを収めた人は、
「次も頼めば何とかしてくれる存在」になる。

結果どうなるか。
頑張る人ほど忙しくなり、
頑張らない人ほど楽になる。

組織が「誰がどれだけ頑張ったか」ではなく、
「どこが詰まり、何が原因か」を見ていないと、

仕事は自然と強いところに流れ込む。

その流れを止めない限り、
優秀な人は消耗し、
やがて離脱する。

残るのは、
仕事を抱えない術だけを身につけた人たちだ。

頑張っている人が損をする職場は、
一時的に回っているように見えても、
内部から戦力を失っている。

それは努力を評価しない職場ではない。
努力を前提に成り立っている職場だ。

そして、その構造に未来はない。

仕事は、できる人に集まる

仕事は、
早く処理できる人、
断らない人、
問題を解決してきた人に集まる。

引き受けた実績が、次の依頼の根拠として使われる。

トラブルを片付けた人は「次も何とかする人」として扱われる。

その結果、
頑張る人ほど忙しくなり、
頑張らない人ほど楽になる。

これは評価や感情の問題ではなく、自然に生じた業務の流れである。

依頼する側は、成果が出る可能性の高い相手を選ぶ。

それは合理的な判断だ。

過去に引き受けた人は、今後も引き受けるだろうと見なされる。
過去に断った人は、今後も断る可能性があると見なされる。

こうして、依頼先は固定されていく。

職場全体としては、業務が滞りなく進んでいるように見える。

誰かが引き受け続けている限り、問題は表に出ない。

その状態が、この配分を維持している。

努力は評価されず、前提として使われる

仕事が集まる理由は、その人が優秀だからではない。

その人が「引き受ける」という判断を繰り返してきたからだ。

判断の積み重ねは、組織内での役割を固定する。

依頼する側にとって、その人は「頼めば引き受ける人」という認識になる。

この認識は、次の依頼を発生させる根拠として機能する。

そして、引き受けた瞬間に責任の所在が確定する。

依頼した側は、依頼という行為によって自らの役割を完了する。

進行管理も、
トラブル対応も、
引き受けた側が担うことになる。

この構造において、権限は依頼側に残る。

依頼するかしないか、誰に依頼するかを決める権限は、依頼側が持ち続ける。

引き受ける側には、断る権限があるように見える。

だが実際には、断ることが組織内での評価や関係性に影響を与える設計になっている。

合理性の観点から見れば、この仕組みは効率的だ。

依頼側は、成果の見込める相手に依頼すればよい。

組織全体では、仕事が停滞しない限り問題は認識されない。

ただし、この合理性は一方向にしか作用しない。

引き受ける側の負荷は、設計の中に含まれていない。

努力は評価の対象ではなく、業務が成立するための前提として扱われる。

前提とされたものには、対価も配慮も発生しない。

消えるのは、いつも同じ人

消耗するのは、仕事を引き受け続けてきた人だ。

残るのは、仕事を抱えない術を身につけた人だ。

組織は回っているように見えて、内部の戦力は減っていく。

個人が担っていた負荷は可視化されておらず、失われて初めて認識される。

引き受けてきた人が限界を迎えたとき、その穴は埋まらない。

なぜなら、その人がどれだけの量を処理していたかは、周囲には見えていなかったからだ。

この職場は、努力を評価しない職場ではない。

努力を前提にした構造で成り立っている職場だ。

努力を前提にした構造は、いずれ限界を迎える。

その構造に未来はない。

今日の一文

『業務の集中は、設計の失敗』

コメント

タイトルとURLをコピーしました