思考の停止は組織の問題

構造

「最近、考えなくなった気がする」
「言われたことだけをやっている」
「余計なことはしない方がいい」

職場で、こんな空気を感じたことはないだろうか。

だが、それは個人の怠慢ではない。
やる気がないわけでも、能力が低いわけでもない。

思考停止は、組織が作り出す。

判断する権限がない。
意見を出しても聞かれない。
決めれば責任だけを押し付けられる。

そんな環境で、人は自然と考えるのをやめる。
考えない方が安全だからだ。

思考停止は「結果」にすぎない。
そして多くの組織は、その設計ミスにすら気付いていない。

考えなくなる職場で起きていること

指示がなければ動かない。

上司からの明確な指示を待ち、自ら判断して行動することはない。

業務上の疑問や選択肢が生じた場合、即座に「どうしますか?」と確認を求める。

その頻度は日に日に増えている。

問題や違和感に気づいても、会議で発言されることはない。

改善の余地が見えていても、それを口にする者はいない。

前例やルールが存在しない業務は、可能な限り回避される。

担当を打診されても
「前例がない」
「決まっていない」
という理由が先に挙がる。

会議では意見や提案が出ない。

確認事項の羅列と、既定路線の追認だけが繰り返される。

改善案を求められても、「なぜ今まで決まっていなかったのか」という説明に時間が使われる。

表面上、業務は滞りなく回っている。

納期は守られ、報告書は提出され、ルーチンワークは遂行される。

しかし、

その中で判断や思考の痕跡は記録されない。

なぜ人は考えなくなるのか

この状態は、組織の構造が生み出している。

判断する権限が明確に定義されていない組織では、誰がどこまで決めてよいかが曖昧になる。

権限が曖昧な状態で判断を下せば、その責任は判断者個人に集中する。

判断の結果が成功であれば組織の成果とされ、失敗であれば個人のミスとされる。

この非対称な責任設計のもとでは、判断を下すことがリスクになる。

一方で、判断を保留し上位者へ委ねた場合、責任は分散される。

仮に結果が悪くても、「指示に従った」という事実が個人を保護する。

この構造下では、判断しないことが合理的な選択となる。

評価基準が「ミスをしないこと」に置かれている組織では、行動しないことが高く評価される。

新しい提案は検証コストを生み、実行には失敗のリスクが伴う。

既存の手順を踏襲すれば、検証も失敗も発生しない。

思考を示せば反論される可能性があるが、沈黙は反論を生まない。

この設計において、考えないことは怠慢ではなく適応である。

人は与えられた環境に最適化して行動しており、「考えない方が安全」な構造では、考えないことが合理的になる。

思考の停止は原因ではなく、組織設計の結果として観測される。

その構造がもたらす結果

この構造が維持されれば、判断は上位へ集中し続ける。

判断の集中は処理速度を低下させ、会議と承認プロセスは増加する。

現場で解決できたはずの問題も、承認待ちの時間が延びていく。

問題は先送りされ、深刻化する。

違和感が共有されないまま時間が経過し、対応可能な段階を過ぎてから表面化する。

主体性や思考力は組織から失われ、指示待ちの行動だけが残る。

人材は育たない。

判断の経験が積まれず、思考の訓練が行われないため、同じ問題が繰り返される。

業務は特定の人物に依存し、その者の不在が組織の停止を意味するようになる。

非常時には、この構造の脆弱性が露呈する。

前例のない事態に対して判断が下されず、組織は機能しなくなる。

やがて、判断する力を持つ者から順に離脱していく。

今日の一文

『考えない行動が合理的になるとき、思考は組織から消える』

コメント

タイトルとURLをコピーしました