職場に英雄はいるだろうか。
とても頼りになる上司、優秀な部下、頼れる先輩あるいは同僚。
そんな人がある日突然いなくなったらどうなるのか想像してみて欲しい。
機能不全を起こし職場が回らなくなるのか。
それとの、何事もなかったかのように回るのか。
もし、その人がいなくなることで職場が回らなくなるのであれば、その職場は「一騎当千の英雄」によって支えられている。
逆に、何事もなく回るのであれば、「英雄」ではなく仕組みで動いている職場だ。
そんな一騎当千の英雄によって支えられた職場は脆弱だ。
その様な現状を放置している組織は、静かにリスクを積み上げている。
英雄がいないと回らない職場
多くの職場には「何でも分かっている人」がいる。
トラブルが起きたとき、
判断に迷ったとき、
誰もが頼る人物だ。
その人がいれば問題は解決し、業務は前に進む。
この構造では、
重要な判断、
部署間の調整、
突発的なトラブル対応が、
特定の個人に集中する。
周囲は
「あの人がいるから大丈夫」
「結局あの人が何とかする」
という前提で動いている。
英雄本人は優秀である。
責任感も強く、期待に応え続ける。
しかし、その結果として休めない。
業務を引き継げない。
そしていなくなった瞬間に、職場は機能を失う。
英雄は称賛される。
だが、その称賛の裏側で、組織は静かに脆弱性を蓄積している。
一人の力量に依存した職場は、一見うまく回っているように見えているだけだ。
英雄を生み出す組織構造の欠陥
英雄が生まれるのは、判断の基準が組織として設計されていないからだ。
何をどう判断するか、
誰がどこまで決めてよいのか、
そのルールが明文化されていない職場では、
判断は個人の経験と勘に委ねられる。
責任の所在も曖昧である。
誰が何に対して責任を持つのかが明確でなければ、結局「分かっている人」が全てを引き受けることになる。
権限も同様だ。
権限が適切に分散されていなければ、
判断は一箇所に集中し、
その人物がボトルネックとなる。
この構造は、必ずしも非合理的な結果ではない。
むしろ短期的には合理的に見える。
英雄がいれば速く、
確実に、
問題は処理される。
だが、それは仕組みによる合理性ではなく、個人の能力による一時的な安定に過ぎない。
組織として設計されていないことが、英雄を必要とする。
そして英雄の存在が、設計の不在を覆い隠す。
この循環が続く限り、職場は構造的な欠陥を修正する機会を失い続ける。
英雄依存の先にあるもの
英雄が疲弊し、離脱する。
業務は止まり、混乱が起きる。
責任の押し付け合いが始まる。
組織はそこで初めて「あの人がいなくなって困った」と気付くが、時すでに遅い。
英雄依存の職場には再現性がない。
持続性もない。
成長もしない。
一人の力量に支えられた構造は、その人物の限界を超えることができない。
本来目指すべきは、英雄がいなくても回る職場だ。
誰が抜けても致命傷にならない。
判断が仕組みとして共有されている。
英雄が必要な職場は、もう負けている。
今日の一文
『本来、英雄は不要だ』
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