なぜ「忙しい会社」はいつまでも忙しいのか

現場

「忙しくて余裕がない」
「忙しくて手が足りない」
「忙しすぎてできるわけがない」

こんな言葉を、言ったことはないだろうか。

多くの会社では、忙しさは当然の前提として受け入れられている。

  • 仕事が多いから忙しい。
  • 人が足りないから忙しい。
  • 繁忙期だから仕方がない。

だが、その「仕方がない」という一言が、忙しさを固定化させている。

本来、仕事も人も時間も、すべて限られている。

にもかかわらず、忙しい状態を前提に業務が組み立てられ、見直されることはない。


その結果、
忙しい会社は、
改善する余裕を失い、
さらに忙しくなっていく。

忙しさが「常態」になっている

多くの職場では、忙しい状態が例外的な事態ではなく、日常の前提として扱われている。

納期が重なり、
対応に追われ、
余裕のないまま
日々が過ぎていく。

それでも、業務の見直しが行われることはなく、改善についての議論も起こらない。

忙しさは一時的な負荷として認識されるのではなく、「そういうもの」として受け入れられている。

現場では
「忙しいから後回し」
「落ち着いたら考える」
という言葉が繰り返される。

しかし、落ち着く時期は訪れない。

忙しさが続いているという認識はあっても、それを変えるための行動は取られない。

余裕のない状態が放置され、そのまま次の案件へと移行していく。 忙しさは問題として扱われず、環境の一部として組み込まれている。

忙しさを前提に仕事を組み立てている

忙しさが常態化するのは、組織が忙しさを前提として業務を設計しているからである。

計画を立てる段階で、すでに余裕のない日程が組まれ、リソースが不足した状態で仕事が始まる。

これは偶然ではなく、構造的な選択の結果である。

判断の権限が現場に与えられていない場合、現場は与えられた条件の中で対処するしかない。

業務量の調整や優先順位の変更を提案する余地がなければ、忙しさを引き受けるしか選択肢は残らない。

責任だけが現場に置かれ、設計を変える権限は別の場所にある。

また、忙しさを前提にした設計は、短期的には合理的に見える。

余裕を持たせることは非効率と見なされ、人員や時間の余剰は削られる。

その結果、通常時はぎりぎり回るが、イレギュラーが発生すると即座に破綻する構造が出来上がる。

そして、破綻した状態が日常になる。

忙しさを前提にした設計は、忙しさを生み出す。

それは個人の働き方の問題ではなく、組織がどのように仕事を組み立てているかという構造の問題である。

忙しさから抜け出せなくなる

忙しさが常態化すると、
振り返る時間も、
学ぶ余裕も、
改善する判断も失われる。

問題が起きても、忙しさを理由に対処は後回しになる。

非効率な手順は放置され、
属人化が進み、
判断は遅れる。

その積み重ねが、さらに忙しさを生む。

組織は「忙しいから変えられない」という状態に閉じ込められる。

忙しい会社が忙しいままであるのは、偶然ではない。

それは、忙しさを前提にした設計を選び続けた結果である。

今日の一文

『「忙しい」を理由に対策を怠る組織は、衰退する』

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