何かがおかしい
漠然とした不安がある
だが、職場は静かに回っている
※改善策や正解を提示するブログではない。
仕事で成果を上げる人が疎まれ、孤立する。
そして、優秀な人から辞めていく。
それでも、何も変わらない。
ただ、静かに職場は回っている。
何も疑問も抱かずに
あるいは
気づかぬふりをして
今日も職場は回っている
はっきり言おう。
断言しよう。
これは、職場が構造的に壊れているという明確なサインだ。
※本稿で扱う「構造」とは、個人ではなく、そう振る舞う方が合理的になる仕組みのことを指す。
構造的に壊れた職場では、
- 人は考えることを止める
- 努力することも止める
- 何も決めなくなる
- ただ、言われた事だけをする
- 忙しいことが評価となる
結果として、仕事で成果を上げる。
- 考えて動く人
- 努力を続ける人
- 決める人
は空気を乱すとみなされ、疎まれる。
そして、それに気づいた優秀な人から辞めていく。
そのような職場に、未来はない。
「問題がないように見える」職場で起きていること
明確なトラブルは起きていない。
業務は滞りなく回り、日常は維持されている。
出勤し、作業をこなし、報告を上げる。
その繰り返しが続く。
しかし現場には、言語化できない違和感が漂っている。
何かがずれている。
何かが欠けている。
その「何か」を誰も口にしない。
成果を上げる人間が疎まれる。
数字を出した者が孤立する。
新しい提案をした者が、次第に発言しなくなる。
空気を乱さない人間ほど、評価されやすい構造がある。
それでも、誰も問題を指摘しない。
何も変えようとしない。
会議は開かれ、報告は続き、すべては「順調」として記録される。
表面は平穏で、内側には漠然とした不安だけが積もっていく。
なぜ職場は「静かに」壊れていくのか
この現象は、構造によって生じている。
判断を伴う行動が、組織内でリスクとして扱われる設計になっている。
判断には責任が伴う。
責任を負える権限を持つ者は限られている。
権限のない者が判断すれば、それは「越権」とみなされる。
結果、判断しないことが合理的な選択となる。
問題提起も同様である。
問題を指摘することは、現状の否定を含む。
現状を否定することは、それを設計した者、維持してきた者への批判と受け取られる。
批判は摩擦を生む。
摩擦は秩序を乱す。
秩序を乱す者は、排除されるか、影響力を失う。
こうして、何も言わないことが最も安全な選択肢となる。
発言しない
提案しない
疑問を持たない
それが組織内で最も合理的な振る舞いとして定着する。
成果を上げる人間が疎まれるのも、同じ構造による。
成果は比較を生む
比較は優劣を生む
優劣は不和を生む
不和を避けるために、成果そのものが抑制される。
目立たないこと
均質であることが
組織内での生存戦略となる。
この構造において、考えることは不利益をもたらす。
疑うことは孤立を招く。
動くことはリスクを伴う。
だから、
誰も考えず
疑わず
動かない
その状態が、組織全体に静かに浸透していく。
学習できない組織の行き着く先
考えて動く人間が
疎まれ
孤立し
去っていく。
残るのは、
何も疑わない人間と
指示待ちに慣れた人間である。
組織は学習しない。
過去の失敗から何も学ばず、同じ構造を繰り返す。
修正する機能を持たない。
変化に対応する回路を失っている。
外部環境が変わった瞬間、対応できない。
市場が動き
技術が変わり
前提が崩れたとき
この組織は立ち止まる。
判断する者がいない
動ける者がいない
問題を認識する者さえいない。
破綻は突然ではない。
音もなく、すでに内部から進行している。
「回っている」ことと「健全である」ことは、別である。
そのような職場に、未来はない。
このブログの読み方
このブログは、答えを与えない。
現実を構造として示すだけだ。
すべての記事を読む必要はない。
気になったものを選び、自分で判断すること。
ここに書かれていることを、どう使うか。
そして、どう動くか、は読者次第である。
